2007年11月11日 パレット市民劇場(沖縄県那覇市)
出演:山内昌也(テノール)・森島英子(ピアノ)
ドイツから沖縄にもどった山内昌也さん。(当時)
山内さんとは、ドイツへ留学する前に知り合い、東京の家でうたを聴かせてもらったのがご縁の始まりでした。
その希有な美しいテノールに驚いたのを覚えています。当時は沖縄県立芸術大学大学院を修了したばかりでした。
どうしたいの?という話から始まり、留学をして、、、という夢を聞かせてもらいました。
留学をするにあたっての障害がありましたが、私のアドバイスを何倍にも活かし、持ち前の行動力で留学を実現しました。
ドイツへ行ってからも、帰国のたびに東京で何度か会ったり、コンサートへ伺ったりしました。
その後、2つの大学院で学位を修め、ドイツで仕事をしてから帰国したときの再会は沖縄でした。
これからどうしようか?という話を、何度もしたことを覚えています。
こうして考えると、私の音楽家へのパーソナル・コーチングは、彼が始まりでした。
そのころよく話したのは、沖縄の人は、沖縄の大地からエネルギーをもらっているから、沖縄をベースに、東京へ、世界へと出て行く音楽家を目指そうという目標が見えてきました。
帰国して1年くらいのころ、「リサイタルをしたら」とすすめました。
資金もなく、スポンサーもない彼は、もちまえの行動力で、リサイタルを実現しました。
沖縄でのリサイタルを満席にするほどチケットを売り、その黒字分で東京でのリサイタルも実現しました。
東京でのリサイタルは、音楽の友でとりあげられ、好評を得ました。
また、沖縄の音楽家としての独自性を出すために、私が提案した「沖縄のうた」を歌曲としてうたうというプログラムも実現してくれました。
作編曲は作曲家の野平さん。お願いしたのは「世界共通の音楽の美しさが出るようにしてほしい」ということでした。
沖縄のよさは、歌詩、メロディーにでているので、ピアノのパートでクラシックの音楽家が演奏したくなる美しさが欲しいということでお願いしました。
山内さんが、ピアノ伴奏をお願いした師匠でもある森島英子先生へ「沖縄のうたを入れたい」と、提案したときは「リサイタルには向かないんじゃない?だったらコンサートにしたほうがいい」と、一度は断られました。しかし、できた譜面をご覧になった先生は「これならきれいだかやりましょう。途中のピアノソロも弾きます」とおしゃってくださいました。
こうして生まれたのが「テノールとピアノのための歌曲集『てぃんさくぬ花』」(野平龍一作曲・山内昌也初演)です。
音楽の友批評でも、「山内昌也にしかうたえない一生の宝」評されました。
うたのしま音楽工房の仕事としては、「リサイタルの計画」「新曲のプロデュース」「ちらし、チケットの企画・制作・印刷手配」「招待状のデザイン」「プログラム編集・デザイン・印刷手配」「当日のマネジメント」をさせていただきました。沖縄で、はじめてうたのしま音楽工房を知ってもらうきっかけになった仕事をさせてもらいました。
●ちらし(A4 表カラー・裏モノクロ)
デザインが斬新とご好評をいただきました。これは、リサイタルのコンセプトからしっかと参加させていただいたからできるデザインです。
また、沖縄公演3,000円、東京公演4,000円は、沖縄のリサイタルの価格としては高めだったのですが、チケットは完売しました。当日は立見まで出てしまいました。