Business Overview


松澤 仁璽


ことばにならないを、ことばにする。〜 意味の翻訳と伴走型コミュニティ事業

1. 目的

「生涯現役を貫く、誠実な表現者のためのインフラ構築」 定年退職という節目を迎え、14年の組織経験とそれ以前の20年にわたるクリエイティブ・マーケティングの実績を統合し、起業を決意。 現在の情報過多・トレンド追求型の社会で疲弊する経営者や個人に対し、自身の「内なる声」を価値ある形に変換し、持続可能な歩みを支援する場を提供します。100歳を超えて表現を続けている先達のように、年齢に縛られず価値を伝え続ける「静かな革命」を沖縄から全国へ発信します。

沖縄には、年齢を考えずに元気な限り仕事をしている人たちがあたりまえにいます。離島で出逢った70歳を越えた農家の女性は、今でも若い頃から習慣化している日々を送っています。わたしが住んでいる近所にも、80歳をこえて、市場で仕事そしている、個人商店を続けている、そういう人たちがたくさんいます。


わたしの母は、64歳まで父の経営する食肉販売の会社で第一線の職人、店長として仕事をしていました。その仕事を離れてから、こどものころからやりたかったと、小さな飲食店を始めました。やりながら試行錯誤を重ね、自分のキャリアでいちばんの想いがある日本の和牛文化を若い人に伝えたいと、敬愛してやまない和牛飼育の方が育てた牛を仕入れ、熟成して、そのステーキを出し続けました。支持は、日本全国からアジアにまで広がりました。何年続けられるかわからないと言っていたその店は、本人が健康上の不安から引退を決意した83歳まで続きました。


また、2023年に沖縄である日本画の個展が開催されました。東京在住の高野加一さん。高野さんは65歳で絵を描き始め、100歳で日展に入選、お嬢さんが暮らしている沖縄とのこ゚縁で個展を開催されました。その様子は最終日まで大盛況、と全国紙でも報道されました。

ぼくは不思議な人生を歩んでいます。慶應義塾の志木高等学校というところへ入学しました。この学校は、そのまま大学へ進めるので、ほとんどの人(ほぼ全員)が大学受験を経験しません。高校時代にしかできないことにエネルギーを注いでいる人場多かったです。ここはもともと農業学校だったので、もともと農園だったような敷地は広大で、1学年250人くらいしかいない高校の敷地としては広すぎるほどでした。校内には林があり、グランドのよこを野火止用水が流れていました。

ここで育ったからというわけではないと想いますが、ぼくは、その後、自分の関心が持てないことに集中できない人生を歩みだすことになります。当時は、そんなふうに思っていません。ふつうに人生のキャリアも考えていました。というか、ここでもいろいろあったことを思い出します。この高校へ入るまえは音楽大学の付属高校へ入ろうと思っていた。中学進学のときに音楽大学の付属中学があるのを知って、そこへ行きたいと両親に話したことがあった。両親は「音楽をするのはいいけれど、高校まではふつうの高校へ行ったほうがいい。そうでないと人生はたいへんなことになる。つぶしがきかなくなる」というようなことを言われて、さっさと諭されて(笑)、高校までは普通の高校へ行くのがいいのかと中学受験をして全滅だった。そのおかげか、中学時代は受験にフォーカスしたのか大学受験をしないでいい高校ばかりを5つ受けて。4つ受かった。そこから試験というものに無縁の人生が始まった、、、(※このことは、別のところで書きます。)

その後、いろいろなことをすることになりました。ビジネスと音楽活動の狭間を行ったり来たりしながら、行きてきました。一度は30歳くらいのときに音楽演奏はやめました。それからはビジネス活動をメインにしてきたつもりでしたが、音楽との関わりは切れません。沖縄に来てからも、音楽の話はほとんどしていないのに音楽関係者のつながりが増えて、首里城でオペラをするというぷろじぇくとでは制作事務をしていました。その後、50歳からピアノを触るようになり。レッスンのような、セッションのようなことを大好きなピアニストの方にしてもらって、気づいたら10年くらい。60歳のころから、また、うたの伴奏をしていました。このピアノ再開から伴奏再開までの期間は、人生初の会社員をしていました。これも、半年のつもりで勤めた会社に14年以上いました。そして、なかなか体験できないIPOを内部からプロセスを見ながら体験することもできました。

思えば、自分のなかにあるなにか想いが、自分をひっぱってきていたのではないか。魂なのか、心なのか、無意識なのか、意識なのか、、、でも、目標とかではありませんでした。今、思えば、会社にいる間にも、前半ではいろいろなことに携わることになりました。自治体が公募する公共事業の入札、落札、事業の実施なども、ずいぶんと経験させてもらいました。ここで、公共(パブリック)という概念に出逢いました。商売をしている家に生まれて、ずっとビジネスが日常にあった環境で育った自分にとっては、この概念は知識では知っていましたが、実践する方々を目の当たりにして、ショック、というか、感銘を受けました。

65歳で定年退職になるも、すぐに自営に戻ることもできず、再就職を探しました。しかし、募集広告の年齢不問、経験不問ということばの実態。年齢の壁はかなり高かったです。何十社という応募をするも返信すら無い日々。あっという間に3ヶ月が過ぎました。面接をしてくれたのは2件。その後、もう2件、連絡がありましたが、4月からの募集のところばかりで、、、兼業できる仕事ではないので辞退をしました。この仕事も、1年くらいで終わります。次は、もう、就職はできないでしょうね。

この秀玉活動の副産物は、自分の人生の振り返り。自分の人生をふりかえって、ことばとしてアウトプットする機会はありませんでしたから、これは、なかなか気づきの多いプロセスでした。そして、結局、人間は、いろいろな必要によって生きることもある。そのときは頭脳全開で生きています。しかし、人生というのはもともと、ある程度、わかっていて。その道が社会では異質なことでも、珍しいことでも、そこを歩まないと自分が満たされない日々になるということがわかってきました。

今まで、コンサルティング、事業をサポートさせてもらった経営者、セッションをしてきた個人の方々、、、それぞれ、必要な課題解決をいろいろなカタチで伴走してきたり、リードしましたが、結局は、その人の想いに本人が気づいて歩みだすことが必要不可欠なことがわりました。確信しました。65年かかりました。w

だれでも、本来、自分の内面に持ち続けている想いがあります。その想いをことばにしたことがありますか。ことばにすることでその想いを解放して、自分自身のやり方で、自分自身のスピード歩み続けることで、あなただけのゴールへたどり着けます。そして、そのゴールまでプロセスにも、ゴールにも、この歩みをよろこんで応援してくれる人たちがいます。そういう人たちと歩んでいるという感じられることが、いちばんの幸せなのではないかなと、いつの日からか思うようになりました。

  • 人生が長くなったということは、今までの価値観。60歳を超えたら老後ということではなくなってきています。そのつもりだったのにと想ってがっかりするのではなく、元気なうちはまだまだ貢献ができるということです。貢献というのは、経済的な貢献だけではありません。自分が想ったとおりに生きることが、すでに貢献になります。
  • 人生が長くなったという話は、人生の後半の話のように思われますが、違います。60歳までの人生プランに沿って共育や就職をしてきている時代に違和感が生じてきていることは、だれでも気づいてきていると思います。無理があるからです。しかし、何十年もかけて積み上がった社会制度がそうそう変わることは難しいです。ならば、自分の人生を自分でプログラムする。そういう若い人が増えています。今までの価値観の社会とは別に、自分の想った通りの日々を歩もうとする若者たち。彼らの価値観は、50代以上の世代の価値観となにもかもが違います。
  • 自分の想ったとおりに生きるということは、ある意味、お手本は無い。そのままなぞればいいお手本はありません。ただ、自分の想ったとおりの人生に向かって歩みだした人たちの共通のマインドがあります。このマインドを学ぶことで、自分の方法は自分にしかわからないということを理解できるようになります。
  • むずかしいことをするのではありません。昨日より楽しい、ワクワクするという日々が続くために、1日、1%にもならない、0.2%くらいを変え続けるだけで、見える景色がガラッと変わります。

2. 強み

意味の翻訳力: 公共事業からEC運営まで幅広く従事した経験から、散らかった思考や経験を、市場に届く「使える言葉」と「物語」に構造化する独自のメソッド(リピート率80%を達成した実績に基づく)。対話、伴走によりあなただけの価値の言葉化、その価値を世の中への貢献としてじわじわと広める日々を構築していきます。お客さんが集まるのにはわけがあります。

デジタルとアナログの高度な融合:ICTリテラシー、セキュリティ、AIとの共生といった現代教養と、哲学・文学・芸術などのリベラルアーツを掛け合わせ、単なるツール利用ではない「知性あるデジタル活用」を指導できる。父の時代は、自店舗の周辺で価値を広めることは、ほぼ、自己満足の世界でした。なぜならその価値を求める人が数%しかいなかったから、ビジネスにはつながらなかったのです。別の理由で売れる店をしていました。母は、父の会社のころ、その理念に共感をもちながらも、実際の日々のビジネスは価格重視、コミュニケーションで売るということにエネルギーを使っていました。生きるために売っていたわけです。自分の店を小さく始めたことで、自分が納得行かない価値観を削ぎ落とし、ことばにして、かたちにしていきました。しかし、オンライン、デジタルでの表現があたりまえになった今では、母の店のステーキのように、海外からランチを食べるために飛行機で日帰りする方が複数いらしていました。

文字による内察支援: あえてメール(文字)を主軸としたセッションを行うことで、対面では流れてしまう「気づき」を記録し、自身の変化を0.2%ずつ積み上げる独自の伴走スタイル。何百年も前の書籍が今も読まれる、そこには人類共通の価値があります。だから、わたしは文字だから伝わることにフォーカスしています。だから、グループで開催することは難しく、1対1のオーダー・メイドなセッションを続けていきます。あなただけのゴールを探りながら歩み続けましょう。


3. 事業内容

① ニュースレター主宰「静かな編集レター」

情報過多なSNS社会に対する疲れや、本当に価値のあるものだけを厳選して手元に置きたいという「クワイエット(静かな)」な消費心理の変化があります。その真理を背景に、派手な主張をせず、質やディテールで洗練さを表現することに一定の支持が集まる時代になりました。その数は、ひとりひとりの人生のゴールを支えるために十分な数なのです。

② コミュニティ型コンサルティング

アーティスト、専門家、シニア創業希望者、若手起業家の、自分の想いをカタチにして生きていくための試行錯誤の成功・失敗を共有し、メンバーが実践・報告し合うコミュニティ。ICTを駆使し、地域(沖縄)に限定せず全国・世界がつながります。

③ 思考の壁打ち(個別言語化セッション)

メールを主体とした1on1メンタリング。思考の整理、事業コンセプトの立案。事業運営のコンサルティング。

主なアウトプット

  • 個人の価値を社会へつながる意味を見つける(意味の編集)
  • ひとり、ひとりのための生きやすい日々へのサポート(ライフデザイン)
  • ライフストーリーを読み直す。過去は未来で変わります。
  • 強制しないリーダーシップ育成支援
  • ブランドの源を探りながら、伝わる形にしていきます。
  • クリエイティブ・プロデュース(音楽・文章・企画)
    ・文章制作/コピー/ストーリーテリング